飛鳥山公園の歴史
飛鳥山の由来は、「飛鳥明神社のやしろ」が祀られていたことから。
ちなみに東京都北区は、そもそも「飛鳥区」になるはずというほど、価値の高い山でした。「飛鳥」は難しいという理由で北区になった経緯があります。※「飛鳥」が常用漢字ではない
飛鳥山はを花見の名所にしたのは、暴れん坊将軍こと8代将軍である徳川吉宗。庶民が花見を楽しめる場所として桜を1000本ほど植えるなど、江戸のリゾート地とした歴史があります。浮世絵では「飛鳥山の花見」にも描かれています。
飛鳥山が飛鳥山公園となったのは、明治6年(1873年)に都市公園制度によって、日本で最初の公開公園(上野・浅草・芝・深川、飛鳥山)として開園しました。
旧渋沢邸
晩香廬(ばんこうろ)
晩香廬:渋沢栄一の喜寿を記念して贈呈された小亭(談話室)で、大正7年に竣工しました。木造平屋建、寄棟造、赤色桟瓦葺の建物で、洗練された意匠と精緻な造形が特徴です。重要文化財に指定。
青淵文庫(せいえんぶんこ)
青淵文庫:渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝して贈呈された小図書館で、大正14年に竣工しました2。煉瓦及び鉄筋コンクリート造2階建で、1階は露台、閲覧室、記念品陳列室、2階は書庫になっています。重要文化財に指定。
曖依村荘(あいいそんそう)
旧渋沢庭園:渋沢栄一の邸宅「曖依村荘」の庭園跡。
飛鳥山3つの博物館
飛鳥山3つの博物館は、東京都北区の飛鳥山公園内に位置し、以下の3つの博物館があります。
渋沢史料館
近代日本の経済発展に貢献した渋沢栄一の生涯と業績を紹介しています。
渋沢栄一の私的な生活や仕事の歴史資料が多数展示されており、彼の思想や行動がわかりやすく示されています。
渋沢栄一が使っていた書斎の再現や、彼の著作、手紙、写真などが見られる点が特色です。
紙の博物館
世界有数の紙専門のユニークな博物館。
紙の歴史、製紙技術、日本の和紙文化についての展示が行われています。
紙の造り方やその発展の過程を学べる展示や体験プログラムも提供しています。
北区飛鳥山博物館
北区の歴史や文化を深く掘り下げた展示があります。
中里貝塚出土の独木舟や律令時代の正倉の実物大模型など、北区に関連する考古学的な資料が豊富。
飛鳥山劇場では、江戸時代の花見の様子をロボットとCGを活用して再現しています。
飛鳥山公園周辺のイベント情報
当サイトは「北区さくらSA*KASOまつり」のサイトから、飛鳥山(飛鳥山公園)についてのガイドサイトです。
飛鳥山はお花見の名所でもあり、つつじ、紫陽花、そして新一万円札の渋沢栄一の別荘があります。
アクセスはJR、東京メトロの王子駅。 東京さくらトラム(都電)の飛鳥山駅から徒歩1分程度です。駐車場もありますが25台程度とすくなく、花見の時期などはほぼ満車です。
◆2024年(令和6年)03月30日(土)・03月31日(日)
「北区さくらSA*KASOまつり」は江戸の庶民が楽しんだ花見を現在に復活させ、また未来へ伝えていこうという有志達により始められました。飛鳥山の花見は、遡ること約280年前、徳川第8代将軍・吉宗公が、享保の改革の一環として、この山に桜を植え、江戸庶民に開放したことから始まります。当時、花見は庶民の最大の娯楽であり、年に一度の花見は飲めや歌えの大騒ぎであったと伝えられます。
地域の商店や北区の名品など地域色のあるものを中心に飲食品販売、物品販売など30店以上の出店を行います。
「北区さくらSA*KASOまつり」は江戸の庶民が楽しんだ花見を現在に復活させまた未来へ伝えていこうという有志達により始められました。
飛鳥山の花見は遡ること約280年前徳川第8代将軍・吉宗公が、享保の改革の一環として
この山に桜を植え江戸庶民に開放したことから始まります
当時、花見は庶民の最大の娯楽であり
年に一度の花見は飲めや歌えの大騒ぎであったと伝えられます
JR京浜東北線・王子駅
- 地下鉄南北線・王子駅
- 都電荒川線・王子駅前
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