

2026年春、飛鳥山博物館の企画展示は、モダーンジャーニー。
モダンじゃなくてモダーンなのね。ちなみに意味は「新しい」的なこと。
100年前に新しかった、旅行の広告などを見ることができる展示です。
この企画展示は、完全無料です。
お花見のついでに見られると、とても楽しめると思いますよ。
まず飛鳥山博物館に入り、右奥へ進むと企画展示の入り口より目立つ展示物。
案内にはホワイエと書いてある。ロビーという意味らしい。
- 🗓️ 開催概要
- ホワイエの撮影スポットと資料
- しゅっぱつちてん 出発地点 Departure Point
- 第一章 鉄道が街にやってきた!
- 第二章 “乗って旅する”を始めよう!
- 第三章 やっぱり気になる! “おいしい” の旅
- 第四章 あこがれのモダン・ディスティネーション
- 第五章 旅の思い出も忘れずに
- おわり
- 【モダーンジャーニー】のよくある質問(FAQ)
- 2026年開催の「モダーンジャーニー」展はどこで観覧できますか? 🏛️
- 企画展示「モダーンジャーニー」の開催期間と観覧費用を教えてください。 📅
- 展示タイトルの「モダーン」にはどのような意味が込められていますか? ✨
- 100年前の「スキーとカメラハイキング」募集広告にはどのような特徴がありますか? 📷
- 埼玉県観光協会が発行した「埼玉のさくら」案内チラシがユニークな点は? 🌸
- 北区域における鉄道網の整備と「王子駅」の歴史について教えてください。 🚉
- かつて「名主の滝」が一大レジャーランドだったというのは本当ですか? 🌊
- 戦前の「あらかわ遊園」と「名主の滝」の違いは何ですか? 🎡
- 伊勢参りの所要時間は江戸時代から現代まででどのように変化しましたか? ⛩️
- 当時の人々はどのようにして旅の思い出を保存していましたか? 貼り合わせ 📔
🗓️ 開催概要
北区域に暮らし、働いた方々が収集した貴重な旅行広告を中心に、近代の旅にまつわる資料を公開します。色鮮やかで美しいデザインの数々から、当時の人々が憧れた“モダーン”な旅の姿を紐解きます。
| 項目 | 内容 |
| 開催期間 | 2026年3月20日(金)〜 5月17日(日) |
| 開館時間 | 午前10時 〜 午後5時 |
| 会場 | 特別展示室・ホワイエ |
| 費用 | 観覧無料 |
| 対象 | どなたでも |
| 休館日 | 毎週月曜日(※5月4日は開館)5月7日(木曜日) |
✨ みどころ
約100年前、人々はどのように旅を計画し、何に心躍らせたのでしょうか?
今見ても色褪せないグラフィックや資料の数々が、あなたをノスタルジックな近代旅行の世界へと誘います。ぜひ会場で、当時の旅の空気感をお楽しみください。
ホワイエの撮影スポットと資料

入り口すぐの撮影スポットは写真を撮るだけでなく、中にファイリングされた資料があります。
戦前のカタカナ混じりの文体や、当時の物価(会費5円80銭など)がわかる貴重な資料です。
現在の感覚と比較してみると、当時の生活状況や娯楽の位置づけも想像できて不思議な感じです。
スキーとカメラハイキング 会員募集

カメラ愛好家の会員募集かと思いきや、スキーと温泉好きも歓迎という謎のゆるさがおもしろい。
でも基本は撮影コンテストの写真を撮りに行こう!という感じ。
期日:昭和十一年二月十五日(土)十六日(日) 午後一時四十五分 上野出発(十五日)
場所:上越線湯谷川温泉募集人員:二百人(三等) ※カメラに趣味を有する人の外、スキー及び温泉旅行者も歓迎す
会費:五圓八拾銭 十二才未満小児 四圓参拾銭 (内訳:往復汽車賃及び宿泊料 一泊三食付) 会費を添へて左記へ申込むこと
埼玉県観光協会にお花見の案内チラシ

帝都って本当に使ってたんですね! サクラ大戦でしか聞いたことないわ。
なにより表現がユニーク。真の埼玉を知っているか?ってことは、あなたの知っている埼玉は本当の埼玉ではない、来て!でもなく認識してと!いう自虐的とも言えるおもしろさがありますね。
帝都の皆様、真の埼玉を御存じですか!!西に秩父の連峯を望む坦々たる緑の平野で往昔の武蔵野の姿そのままの自然林もあり、隠れた景勝の地もあり、その他名所旧跡も各地に散在して居ります。その上人情淳朴で都人士の郊外散策、又は探勝の地として適当の所であります
ぜひお隣の埼玉を認識して、お愛し下さい……。この度「埼玉県観光協会」を設け季節的のお遊び場所を御紹介することに致しました。
しゅっぱつちてん 出発地点 Departure Point

展示場内の1枚目。
特権階級のものだった「旅」が、メディアの力によって、一般庶民の娯楽へと民主化されていった歴史が語られています。
このパネルを読むと、当時の人々の息遣いがよりリアルに感じられる気がします。まさに「出発地点」にふさわしい、温かいメッセージですね。
明治から大正時代にかけて全国を網羅するように発達した交通網は、人々の生活だけではなく、旅行のかたちも大きく変化させました。特に、大正から昭和前期にかけては、旅行団体の組織化や新聞・雑誌・チラシなど各種出版物による行楽地の紹介によって旅の大衆化が進みました。
第一章 鉄道が街にやってきた!
だいいっしょう 第1章 Chapter 1

明治時代に「上野ー王子間が15分」。現在12〜13分ですから当時から相当に速いですね。
北区域での最初の駅は、明治16年(1883)7月、上野ー熊谷間(高崎線)の仮開業時に設置された王子駅です。この路線は、日本初の私鉄である日本鉄道株式会社が建設中だった東京ー青森間の第一区線の一部でした。その後、明治18年(1885)3月には品川ー赤羽間の開通に伴い、赤羽駅が開設されていくこととなります。
開業当初、王子駅に停車する列車は、1日2往復程度で、上野ー熊谷間を片道約2時間30分弱、上野ー王子間は15分程度で走行したと言われています。行楽シーズンには、臨時列車も運行され、都心と郊外を結ぶ役割を果たしました。
王子を含む鉄道すごろくなど

上野、王子、赤羽などが含まれるすごろく。140年以上前から飛鳥山のある王子が重要な場所だったことがわかりますね。
今どきなら「桃鉄(桃太郎電鉄)」のような感覚で、当時の子供も大人も「次はどの駅だ?」とはしゃぎながら遊んでいたのかもしれません。
1. 左側:『東京近傍汽車鉄道双六』(とうきょうきんぼうきしゃてつどうすごろく)
明治10〜20年代の鉄道網をテーマにしたすごろく。各コマに「王子」「赤羽」「上野」などの駅名が並んでいて、当時の人々が「汽車に乗ればこんなに遠くまで行ける!」と旅のシミュレーションを楽しんでいた様子が伝わります。
2. 右上:『東京上野山下中通鉄道馬車往復之図』(とうきょううえのやましたなかどおりてつどうばしゃおうふくのず)
上野公園周辺を走る鉄道馬車や蒸気機関車を描いた錦絵。桜が満開の飛鳥山を赤い車体が走る様子は、文明開化の象徴として当時とても人気だったそうです。
3. 右下:『古今東京名所 飛鳥山公園地王子製紙会社』
- 概要: 王子の名所である飛鳥山と、当時最先端の工場だった王子製紙を対比させて描いたものです。
- 注目点: 江戸時代からの行楽地(飛鳥山)と、近代化の象徴(工場・鉄道)が同居している、明治期の北区らしい風景です。
リーフレット「王子名園名主の滝遊園地案内図」

なんと現在の名主の滝公園が、昭和15年頃は一大レジャーランドだったそうです。
今では「何もない」と言えるくらいの閑散さですが、当時は民間レジャー施設のトップクラスだったそうな。
精養軒が運営し、プール、温泉、ボート、金魚すくいなど、今のイメージとは全く違う賑やかな施設が揃っていたとか。当時は民間レジャー施設のトップクラスだったんですね。左下の鳥瞰図を見ると、崖線を活かした立体的な庭園に滝や池、茶屋などが点在している様子がわかります。
左下の鳥瞰図: 「王子名主の滝遊園地案内図」
特徴: 崖線(がいせん)を活かした立体的な庭園の構造が描かれています。豊かな緑の中に滝が流れ落ち、池にはボートが浮かび、周囲には茶屋や温泉施設のような建物が点在している様子が見て取れます。
戦前あらかわ遊園の絵はがき

あらかわ遊園(荒川遊園地)のモノクロの写真。
名主の滝が「精養軒による高級リゾート」だったのに対し、こちらは「王子電車(現在の都電荒川線)」の沿線開発の一環として発展した、より身近なレジャーランドという位置づけです。
- 名称: 「王子電車沿線あら川遊園絵葉書」
- 開園: 大正11年(1922年)に開園した私営の遊園地です。
- 設立の経緯: 王子煉瓦株式会社の広岡義之介氏が私財を投じて開園しました。
- 変遷: 昭和7年(1932年)には王子電車の経営へと移りました。
絵葉書から見える当時の施設
- 水辺の風景: 池に橋がかかり、東屋(あずまや)があるなど、日本庭園風の落ち着いたエリアもありました。
- 動物園要素: 檻(おり)のようなものが見える写真もあり、早い段階から動物に親しめる場所だったことがわかります。
- シンボル: 高い煙突のような塔が見える建物は、当時のランドマーク的な存在だったのでしょう。
第二章 “乗って旅する”を始めよう!
だいにしょう 第2章 Chapter 2

このパネルで一番印象的だったのは、旅が「命がけの修行」から「予定通りに楽しむレジャー」へ劇的に変わった瞬間を説明しているところです。
江戸時代、元禄年間(1688〜1703年)頃から、社寺参詣を目的とした遠出が庶民にも許されるようになりました。
伊勢神宮(伊勢参り)

なかでも「伊勢神宮(伊勢参り)」は、一生に一度は行きたい特別な旅として人気を集めました。
当初は純粋な信仰の旅だったものが、次第に名所めぐりや物見遊山の要素が強くなり、19世紀初頭には現代の旅に近い形になっていったそうです。
ただ、当時の旅は今と違ってリスクもあったそうな。
ほとんどが徒歩移動だったため、天候や体調に左右されやすく、盗賊や野生動物に襲われるリスクも常にありました。盗賊なんて、ゲームの中でしか遭ったことないわ。
それが近代に入り、鉄道という乗り物が登場したことで状況は一変したんですね。
ダイヤ通りに移動でき、安全で快適に旅ができるようになった——。
まさに「命がけ」から「計画的なレジャー」への大きなターニングポイントだったんですね。
東京から伊勢参宮の旅 時代別モデルコース3選
東京から伊勢神宮に行くためには大きく3つのルートがあった。
1・近世の旅 文化8年(1811)
- 出発地: 下村(現・北区志茂)から徒歩で出発
- 旅程: 約4ヶ月(伊勢参宮のみの場合は、約1ヶ月)
- 出典: 「富田家文書」より作成
- ルート: 往路は中山道経由で長野(善光寺)などを巡り、帰路は東海道を通る非常に壮大な旅です。
2・近代の旅 昭和12年(1937)
- 出発地: 東京駅発着、下りのみ特急列車を利用
- 旅程: 約5日
- 出典: 「伊勢参宮近畿の旅」第3案(昭和12年)より作成
- ルート: 東海道本線を利用し、鉄道によって移動時間が劇的に短縮されています。
3・現代の旅 令和8年(2026)
- 出発地: 東京駅発着、新幹線利用
- 旅程: 1泊2日
- 出典: 「伊勢志摩ナビ」伊勢志摩コンベンション機構公式サイトモデルコースより作成
- ルート: 最も効率的な最短ルートで、現代の標準的な旅行スタイルです。
江戸時代は、なんと「4ヶ月」もかかっていたんだって!
単に移動が遅いだけでなく、各地の名所を巡る「一生に一度の大イベント」だったからでしょう。どうせ行くなら、途中の名所もまわりたいところ。
徒歩から特急、そして新幹線へ。移動時間が「ヶ月」から「日」単位へ変わった歴史の重みが、この数本のラインに凝縮されています。
戦前の観光リーフレットや案内図

- 定期観光バスの案内(右側): 「遊覧自動車案内」という名称で、箱根や伊豆方面のバスツアーが紹介されています。当時はまだ珍しかった自動車(バス)による観光は、鉄道の駅からさらに奥の名所を巡る「新しい旅の形」として注目されていました。
- 鉄道・船舶の連絡案内(左側・中央): 鉄道と船を乗り継ぐコースのリーフレットが見えます。特に伊豆半島や房総半島など、海辺の観光地へ向かうルートが色鮮やかなイラスト(鳥瞰図)で描かれています。
- 「二見・鳥羽案内」などの聖地巡礼・新婚旅行先(中央下): 先ほどの伊勢参りの流れを汲む、三重県方面の案内です。当時は伊勢神宮への参拝とセットで、二見浦や鳥羽を巡るのが定番の高級観光ルートでした。
注目ポイント:鳥瞰図(ちょうかんず)の美しさ
これらの資料の多くに、地面を斜め上から見下ろしたような**「鳥瞰図」**が使われています。現代のような正確な地図ではなく、山や海、温泉地を強調して描くことで、「ここに行けばこんなに楽しいことがある」と視覚的に訴えかける、当時の最高水準の広告デザインです。
展示されている紙がどれも少し黄色味を帯びているのは、それだけ長い年月を旅してきた証拠ですね。
当時の人々は、駅のカウンターに並んだこれらの色鮮やかなリーフレットを手に取り、「次はあそこの温泉へ行こうか」「新幹線はないけれど、特急とバスを乗り継げば行けるぞ」と家族や友人と相談していたのでしょう。スマホで何でも調べられる現代とは違い、一枚の紙が持つ**「未知の世界へのチケット」**のような重みを感じます。
第三章 やっぱり気になる! “おいしい” の旅
だいさんしょう 第3章 Chapter 3

多くの人にとって旅行といったら楽しみは食事!なのかもしれませんね。
遠い記憶ですが、駅弁の売り子さんからゆっくりと購入した記憶もあります。
当時の鉄道駅では、各駅での停車時間が今以上に長かったため、列車の窓を開けて、ホームにいる売り子からお茶や弁当、菓子類を買い求める光景もよく見られました。それに加えて、長距離移動車には食堂車や喫茶室などが連結されるようになり、移動中にコーヒーや酒類、できたての食事を楽しめるようになりました。
今は見かけなくなりましたが、昔の列車は窓が開きました。停車時間が長いのを利用して、ホームの売り子さんから「弁当、べんとう〜」という声を聞きながら窓越しに駅弁を買うのは、当時の旅の定番スタイルでした。プラスチックではなく陶器(汽車土瓶)に入った温かいお茶を買うのも、この時代の特徴です。
戦前の「東鉄管内売店組合連合会」の観光案内リーフレット


展示資料のタイトルと内容
- 「冬こそ大気の中へ」(右上)
- スキーヤーのシルエットが描かれた、疾走感のあるデザインです。雪山へ行くことを「大気の中へ」と表現するのが、今の「アウトドア」に近い感覚で非常におしゃれですね。
- 「冬の行楽はスキー」(右下)
- 「スキーは世界的の家(※「冬の行楽」の誤植か、あるいは家族を指す言葉か)」といったキャッチコピーと、赤い空を背景に滑るイラストが目を引きます。
- 「秋のおとづれ」(中央下)
- カキの実と弓を持つ人物(案山子でしょうか)が描かれ、実りの秋や紅葉狩り、ハイキングを想起させる優しい色使いです。
- 「山・海案内」(中央上)
- 登山と海水浴、両方の魅力を一枚にまとめた案内です。
やっぱりデザインが人の行動を促すのでしょうか。
駅の売店(今のキヨスクの前身)が、こうした質の高いパンフレットを配布することで、人々の「どこかへ行きたい」という気持ちを巧みに刺激していたことがわかります。
鉄道に乗ってもらうための、今でいう「デスティネーション・キャンペーン」の走りですね。
そういう意味では、スタンプラリーなんてのも同じですね。
「大気の中へ」、当時は都市部の近代化が進む一方で、自然の中で体を動かし「健康」を維持することが、新しい時代の豊かなライフスタイルとして定着し始めていたことが伺えます。
第四章 あこがれのモダン・ディスティネーション

近代化が進み自然との距離が離れることで、自然が旅行の目的になってますね。
昔は鉄道省なんてあったんですね。
自動車が増えることで鉄道の利用が減ってしまう。
そこで旅行という提案によって、鉄道の利用を促していたわけですね。
タイヤのミシュランがグルメガイドを配布したり、初詣も鉄道会社のプロモーションが期限だといわれてますしね。
全国的な鉄道網
明治39年(1906)の鉄道国有法公布により、統一的な体制を持った鉄道システムがほぼ整い、大正時代を経て全国的な鉄道網が完成してゆきました。
第一次世界大戦後から昭和初期にかけての鉄道省は、不況と自動車の進出による減収が課題となっており、これを打開すべく、華やかな広告と各種割引切符を次々に打ち出し、人々を旅へと誘いました。これが現代にも通じる大衆旅行ブームの火付け役となったのです。
右側の地図は、「東京・中京・中心・新線・郷割箇所」とあり、当時の鉄道省が戦略的に設定した、割引切符の対象エリアや推奨観光ルートを示したものです。
- ネットワークの広がり: 東京を中心に、富士山周辺、伊豆、箱根、そして中京(名古屋方面)へと網の目のように路線と拠点が結ばれています。
- 戦略的な観光振興: 緑色の丸印は主要な観光拠点(ディスティネーション)でしょう。不況を打破するために、「安く、便利に、モダンに」旅ができる仕組みを国が主導で作っていたことがわかります。
ハイキング・キャンプ・自然体験

昭和初期、鉄道省がいかに「自然の中へ飛び出すライフスタイル」を熱心に提案していたかがわかる、非常にカラフルで楽しい資料群です。
1. ハイキングの推進(左〜中央)
- チラシ「空高く ハイキング」: 10月の週末ハイキング4コースが紹介されています。地図と列車の時刻表がセットになっており、これ一枚で旅が完結するように作られています。
- リーフレット「颯爽とハイキング」: 「颯爽(さっそう)と」という言葉選びに、当時のモダンな若者像が投影されています。
- 「新緑の旅」「ピクニック」: 小鳥や植物の可愛らしいイラストが描かれた表紙は、女性客を意識したデザインと思われます。
2. キャンプ文化の黎明(右下)
- 「北軽井沢のキャンプ」「キャンプ」: 当時は「キャンピング」と呼ばれていました。鉄道省が北軽井沢などのキャンプ地を整備し、テント生活を新しいレジャーとして推奨していたことがわかります。
- 「キャンピング」案内図: テントのイラストとともに、焚き火やアウトドアを楽しむ様子が描かれています。
3. 知的な旅「自然科学列車」(右上)
- 「信州 高原の秋色を探る 自然科学列車」: 単なる物見遊山ではなく、専門家と一緒に植物や地質を学びながら旅をする、現在の「エコツアー」や「スタディツアー」の先駆けのような企画です。
解説:なぜこれほど「ハイキング」を推したのか?
この展示の背景には、当時の社会状況が深く関わっています。
- 健康増進と「大気」: 都市化による結核の流行や空気の悪化に対し、「日光に当たり、清浄な空気を吸うこと」が健康に良いとされ、ハイキングは国民の健康維持という側面も持っていました。
- 鉄道省の「企画力」: 第4章のパネルにあった通り、不況による減収を補うため、鉄道省は「ただ乗ってもらう」だけでなく、「目的(ハイキングやキャンプ)を作って乗ってもらう」という体験型プログラムを次々と開発しました。
- 季節のパッケージ化: 「10月はここ」「新緑はここ」と、季節ごとに最適なコースと時刻表をパッケージ化して配布することで、旅の心理的なハードルを下げました。
資料の中に「自然を楽しむ」というパネルがありますね。そこには「キャンプも行われるようになりました。当初は一部の愛好家だけでしたが…」と書かれています。
現代のキャンプブームも凄いですが、約90年前の日本でも、当時の「鉄道省」がバックアップして、一生懸命に「みんな、外で寝てみようよ!」「山を歩こうよ!」と勧めていたと思うと、なんだか微笑ましいですよね。
これらすべての資料が、北区から四方八方へ伸びる線路の先に繋がっていました。当時の人々にとって、駅の売店でこれらのチラシを手に取る瞬間は、冒険の始まりのようなワクワク感に満ちていたはずです。
第五章 旅の思い出も忘れずに
だいごしょう 第5章 Chapter 5

皆さんは旅の思い出をどのように残していますか?
おそらくは、スマホで写真や動画を撮影し、SNSのシェアで家族や友達に伝えるという人が多いのではないでしょうか。 では、今から100年前の人々はどうだったのでしょうか。
近代に入ると、切符やリーフレット、ご当地スタンプ、絵はがきなど、旅の過程で数多くの印刷物を手にする機会が格段に増えました。
これらは本来、旅が終われば役割を終えるものでしたが、当時の人々はそれらを大切に持ち帰り、スクラップブックや手帳に1冊にまとめ、旅の記録として大切に保管している人も多くいました。
1. 紙の「SNS」だったスクラップブック
現代の私たちがInstagramに写真をアップするように、当時の人々はスクラップブックを作っていました。 展示ケースの中には、実際に誰かが旅の切符や絵はがきを丁寧に貼り付けたアルバムが並んでいます。当時の人々にとって、手触りのある「紙」こそが、旅の熱量を保存する唯一のメディアだったことがわかります。
2. ご当地スタンプと絵はがき
パネルの背景には、鎌倉の大仏のスタンプが大きくあしらわれています。昭和初期に始まった「駅スタンプ」や観光スタンプは、まさに**「そこへ行った証拠」**。 旅先から絵はがきを出す、あるいは自分へのお土産にする……。そうした行為のひとつひとつが、移動が不便だった時代の貴重な体験を記憶に刻むための大切な儀式だったのでしょう。
3. 「北区」からの贈り物
「ごあいさつ」のパネルにもあった通り、ここに並んでいるのは北区の住民たちが大切にしまっていたものです。 誰かの家で、何十年もタンスの奥に眠っていた「旅のワクワク」が、令和のいま、こうして博物館で展示されている。それは、当時の人が抱いた**「この思い出を忘れたくない」**という純粋な気持ちが、100年の時を超えて私たちに届いた瞬間とも言えますね。
ここまで展示を一緒に辿ってきましたが、あなたにとって最も「思い出に残った」一枚はどれでしたか?
切符(硬券)
コレクターが集めた切符。
旅行へ幾たびに、収集物も増えて楽しかったでしょう。

切符の内容だけでなく、ハサミのかたちによっても変わるのが面白い。
方眼紙のノートに、使い終わった切符が整然と貼り付けられ、持ち主による書き込みも見える、まさに「記憶の宝箱」ですね。
ここに並んでいるのは、「硬券(こうけん)」と呼ばれる厚紙で作られた切符です。
今の若者には信じてもらえないでしょうが、駅員さんが一枚ずつ専用のハサミ(改札鋏)でパチンと音を立てて切り込みを入れていました。
- ハサミの形(改札鋏痕)に注目: よく見ると、切符に入れられた切り込みの形が「M字」や「半円」など、駅によって異なります。当時の鉄道ファンや旅行者は、この形の違いを楽しむことも旅の醍醐味としていました。
- 区間のバリエーション:
- 「上野 ↔ 王子」
- 「赤羽 ↔ 高田馬場」
- 「飯田橋 ↔ 中野」 など、北区周辺や山手線エリアの切符が多く見えますね。
- 割引切符や急行券: 色がついた切符(赤や緑など)は、往復割引や急行券、あるいは特定の行楽用かもしれません。当時の複雑な料金体系を物語っています。
このノートを作った人は、ただ切符を貼るだけでなく、その上に「上野」「飯田橋」といった駅名をペンで丁寧に清書しています。
今、私たちがスマホのカメラロールを見返すのと同じように、この人はノートを開いて「あの日、王子から高田馬場まで行ったな」「この時は急行に乗ったんだ」と、切符の手触りとともに思い出に浸っていたのでしょうね。
集印帳(スタンプ帳)
御朱印帳をイメージしてしまいましたが、スタンプラリーのはしり。

大正時代半ばから観光地などには独自のスタンプが設置されていたんだって。
でも本格的に日本にスタンプブームをもたらしたのは、福井本線福井駅の駅スタンプの設置が新聞報道されたことがはじまりといわれています。
これがきっかけとなり、駅スタンプを中心に各地で旅のスタンプが作成・設置され、バラエティ豊かな印面が人々の旅を彩りました。
JR王子駅の北口にも、駅スタンプが2種類ありますね。
展示の内容と見どころ
- 色とりどりの印影: 紫、青、赤、オレンジなど、多彩なインクが使われています。今と違ってセルフサービスのスタンプ台がどこにでもあったわけではなく、駅の窓口や観光施設の受付で「お願いします」と頼んで押してもらうことも多かったようです。
- デザインの多様性:
- 左下の赤い手帳: 富士山やスキーヤーのイラストが見えます。最初に紹介してくれた「スキーとカメラハイキング」のような旅の思い出でしょうか。
- 中央のスタンプ: 円形だけでなく、その土地の名産や建物をかたどった変形スタンプもあり、当時の職人によるデザインのこだわりが感じられます。
- 蛇腹(じゃばら)式の帳面: 多くの集印帳が蛇腹式になっています。これなら、旅が進むにつれてスタンプが繋がっていき、広げたときに「こんなに遠くまで来たんだ」という達成感を味わうことができました。
スタンプの歴史が「新聞報道」から一気に広がったというのは、当時のメディアの影響力の強さを物語っていますね。
面白いのは、これらすべてが「スマホで写真を撮る」代わりの**「旅の証拠(エビデンス)」**だったということです。スタンプのカスレやインクのにじみさえも、その場所でその瞬間に自分がいたという確かな記録。
北区の住民の方が大切に持っていたこの帳面たち。一枚めくるごとに、当時の汽笛の音や駅弁の香りが蘇ってくるような、非常にライブ感のある資料です。
おわり
フォトスポット

展示の最後を締めくくるフォトスポットですね!当時の列車の窓と、駅弁の「立ち売り」スタッフの等身大パネルです。
むすびにかえて
ハガキやチラシ、そして人々の手元に残された切符やスタンプなどは、当時の人々がどのように旅を計画し、移動中の時間を過ごし、どのような思い出を刻んだのかを雄弁に物語ってくれています。
今日、私たちの旅はより便利で効率的なものになりましたが、目的地を決め、時刻表を眺め、まだ見ぬ景色に思いを馳せるという「旅」の本質は、いつの時代も変わらないのではないでしょうか。
本展を通して、100年前の旅人と同じように「旅に出る」ことへのワクワク感を、少しでも感じていただけたなら幸いです。 令和8年3月 北区飛鳥山博物館
令和8年(2026年)の今、この展示を見た後に博物館を出て、実際の飛鳥山公園の景色を眺めると、普段見慣れた風景がまた少し違って見えるかもしれませんね。
今回の展示は、2026年3月20日(金)〜 5月17日(日)まで。
お花見シーズンのあと、つつじのシーズンまでやっていますよ。
【モダーンジャーニー】のよくある質問(FAQ)
2026年開催の「モダーンジャーニー」展はどこで観覧できますか? 🏛️
はい、東京都北区にある飛鳥山博物館で開催されています。
具体的には、飛鳥山博物館内の特別展示室およびホワイエが会場となっており、北区域にゆかりのある方々から寄贈された貴重な旅行広告や資料が公開されています。
会場である飛鳥山博物館の公式情報は、北区の公式サイトにて確認することが可能です。
北区飛鳥山博物館は、江戸時代からの行楽地である飛鳥山公園内に位置しており、お花見などの行楽と合わせて楽しむことができます。
企画展示「モダーンジャーニー」の開催期間と観覧費用を教えてください。 📅
「モダーンジャーニー」展の開催期間は、2026年3月20日(金曜日)から2026年5月17日(日曜日)までです。
観覧費用は**完全無料(観覧料無料)**となっており、どなたでも自由に入場して当時の貴重な資料を鑑賞することができます。
開館時間は午前10時から午後5時までですが、毎週月曜日(5月4日は開館)および5月7日(木曜日)は休館日となっているため、訪問前にカレンダーを確認してください。
展示タイトルの「モダーン」にはどのような意味が込められていますか? ✨
「モダーン」という言葉には、「新しい」や「近代的な」という意味が込められています。
100年前の日本において、鉄道網の発達により大衆化した「新しい旅のスタイル」を指しており、当時の人々が憧れた未知の世界へのワクワク感を象徴しています。
展示では、当時の人々にとって「モダーン」であった色鮮やかなデザインの広告や、最新のレジャーであったスキー、カメラハイキングなどの資料を通して、近代旅行の姿を紐解いています。
100年前の「スキーとカメラハイキング」募集広告にはどのような特徴がありますか? 📷
はい、カメラ愛好家だけでなくスキーや温泉目的の旅行者も歓迎するという、現代から見ると非常に大らかな募集内容が特徴です。
昭和11年2月に実施されたこの旅行は、上野駅から出発し上越線の湯谷川温泉を目指すもので、会費は5円80銭(一泊三食付き)と記されています。
基本的には撮影コンテストを目的としたものですが、当時の物価やカタカナ混じりの文体、そして「スキー」がモダンなスポーツとしてプッシュされていた背景を読み取ることができます。
埼玉県観光協会が発行した「埼玉のさくら」案内チラシがユニークな点は? 🌸
はい、「真の埼玉を御存じですか!!」という強烈な問いかけや、「認識して」と訴える控えめな表現が非常にユニークであるためです。
このチラシは**「帝都(東京)」の住民に向けて**発行されたもので、埼玉が東京の隣にありながら正しく認識されていないという当時の危機感や自虐的なユーモアが滲み出ています。
当時の埼玉県観光協会は、単に観光地を宣伝するだけでなく、まずは埼玉という場所を「認識し、愛してほしい」という切実なメッセージを込めて、鉄道沿線の名所を紹介していました。
北区域における鉄道網の整備と「王子駅」の歴史について教えてください。 🚉
北区域で最初の駅は、**明治16年(1883年)7月に設置された「王子駅」**です。
王子駅は日本初の私鉄である日本鉄道株式会社によって、上野から熊谷間の仮開業時に設置され、その2年後の明治18年には赤羽駅も開設されました。
開業当時の王子駅に停車する列車は1日2往復程度でしたが、上野駅から王子駅までを約15分という、現代の所要時間と遜色ない驚異的な速さで結んでいました。
日本の鉄道史の詳細については、国立公文書館の資料等で官営鉄道と私設鉄道の歴史を確認することができます。
かつて「名主の滝」が一大レジャーランドだったというのは本当ですか? 🌊
はい、現在は静かな公園である名主の滝公園は、昭和15年頃には「名主の滝遊園地」として民間レジャー施設のトップクラスでした。
当時は精養軒が運営に携わっており、豊かな崖線を活かした敷地内には、プール、温泉、ボート乗り場、金魚すくいなどの多彩な施設が揃う賑やかな場所でした。
展示されている鳥瞰図(ちょうかんず)からは、当時の「名主の滝遊園地」が、都会の喧騒を離れて洗練された休日を過ごせるモダンな社交場であったことがわかります。
戦前の「あらかわ遊園」と「名主の滝」の違いは何ですか? 🎡
「名主の滝」が精養軒による高級リゾートであったのに対し、「あらかわ遊園」は庶民的で身近なレジャーランドという違いがありました。
**あらかわ遊園(荒川遊園地)は、大正11年に王子煉瓦株式会社の広岡義之介氏が私財を投じて開園し、後に王子電車(現在の都電荒川線)**の経営に移りました。
高級なイメージの「名主の滝」に対し、あらかわ遊園は沿線開発の一環として、地元の家族連れが気軽に訪れることができる親しみやすい遊び場として発展した歴史を持っています。
伊勢参りの所要時間は江戸時代から現代まででどのように変化しましたか? ⛩️
江戸時代(1811年頃)には徒歩で約4ヶ月(参宮のみで1ヶ月)かかっていた旅が、新幹線を利用する令和の現代では1泊2日まで短縮されています。
展示パネル「東京から伊勢参宮の旅 時代別モデルコース3選」によると、昭和12年の近代には特急列車の利用で約5日となっていました。
かつては北区の**下村(現在の志茂)**から徒歩で出発していた「一生に一度の大イベント」が、鉄道の高速化によって「計画的なレジャー」へと劇的に変化したことが示されています。
当時の人々はどのようにして旅の思い出を保存していましたか? 貼り合わせ 📔
当時の人々は、切符(硬券)やリーフレット、ご当地スタンプ、絵はがきなどを「スクラップブック」に丁寧にまとめて保存していました。
現代のSNSシェアに代わるものとして、持ち主が自ら駅名を清書したり、**改札鋏(かいさつきょう)**でパチンと音を立てて入れられた切り込みの形を楽しんだりした形跡がノートに残されています。
展示されている**集印帳(スタンプ帳)**などは、その場所に自分がいたという確かな証拠(エビデンス)であり、北区の住民が大切に保管していた「記憶の宝箱」として今日に伝えられています。
駅スタンプの歴史や文化については、鉄道博物館などの専門機関でも解説されています。

会場の最後には、駅弁の「立ち売り」スタッフと列車の窓を再現したフォトスポットも用意されていますので、ぜひ100年前の旅人気分で記念撮影を楽しんでみてください。

